私のオリジナル曲の紹介
1.『短い煙草』
この曲は私が20歳のころに作った歌で
初めての作品です。そのころ学生で軽音楽クラブの先輩に「曲を作ってみろ」
といわれ、バス停で口ずさんだ歌を家まで歌いつづけて作った曲です。
やはりだれでも最初は失恋の歌が多いと思いますが僕もはじめのころはそんな曲ばか り作っていました。
いろいろとアレンジが変わり最後は無理やりハードロックにしてしまいました。
ちょっと演歌チックな曲なんですけど
2.『いつの日にか』(未発表)
短い煙草と同じころにできた曲で、やはり失恋のバラードです。
これはあまりにもストレートな歌詞なので、恥しくて学校の文化祭でやったきりでそれ以来 発表していません。
3.『sexy-engele』 (未発表)
この曲も20歳ころの曲で、これは殆どボツの曲ですが一応2番まで歌詞があったと思い ます。
完成はしてるんでリストに入れさせてもらいました。
4.『愛が叶うように』
33歳ころの曲で長年曲作りもしてなかったのでどうやって作ろうかと悩んでいて
そうだ、こんな曲が作れたらいいなとぼろいギターで弾きながら歌っていたのが
ハウンドドッグ「嵐の金曜日」 でした。
そのままコード進行の一部をいただいて口ずさんでできたのがこの曲です。
音楽と自分とのかかわりをあらわしていくうちに音楽が一人の女性に対する思いに変 わっていくというめちゃくちゃな曲です。
この曲は今でも不思議ですが30分で完成しました。
私のオリジナル曲の中では一番たくさんの人に聞いていただいている曲だと思います。
★この曲は中学校の音楽の教材として合唱曲のCDの中に入っていました。
5.『Dynasoul』
33歳ころの曲で
歌詞は「エムナマエさん」という人が書いたものです。
その詞を読んでこのメロディが浮かんできました。
6.『愛かもしれない』
34歳くらいの曲です。
このころの曲はメロディが先にできてあとで歌詞を考えるというのが定番になっていた。
相変わらず独身で失恋ばかりの私も責めて音楽の中だけでも楽しい思いをしようと
想像の世界で仕を書いてみたのがこの曲です。
毎朝の通勤のラッシュの乗換駅で見かける人に思いを寄せたか寄せないかはよくわからな いけどその人と結ばれる、そんな曲です。
7.『メモリー』
34歳ころ 自分が歌わずに作っただけでしたが今歌おうと思うととても歌いにくい曲で す 歌った人ごめんなさい。
8.『遠くのスポットライト』
34歳ころ 音楽をやりつづけていくことの難しさ
憬れたステージいつまでも歌いつづけたいという思いを唄にしました。
この曲は始めはメロディだけでなかなか歌詞ができませんでした。
メロディだけの段階でアレンジをたのんで、できたのはいいけどそのアレンジだとぜんぜん違う イメージになって歌詞がまったくできなかった。
ボツになりかけていた曲ですが
たまたま適当なノートに書いてあった歌詞のイメージに目が止まり想像を膨らませることが できたので完成に至りました。
9.『夢大地』
35歳ころ、南部さんという人が買い足しに僕が曲をつけたものです。
この曲はさびの歌詞を見たときすぐにメロディが浮かんできてそのあとに
AメロBメロを作りました。
歌詞を書いた人はバラードのつもりだったらしいけどそれを聞いてなかったので
アップテンポにしてしまったという曲です。
10.『熱い思い』
35歳ころ ライブ前3週間くらいから作りかけて。ライブ直前のスタジオリハのときに練習して
録音したものを学生時代からの友人に聞いてもらったら、「これは何や、なんかちょっ とへんやで、」と音楽してない友人に言われ、「一瞬おまえにそこまでいわれたないわ」 と思いましたが
やっぱり自分でも辺だと思う気持ちもあって、すぐに直してライブ当日リハで修正して、 やっとの思いで発表したという曲です。
11.『Wake up hero』
36歳ころ この曲はちょっと代わった作り方をしています。
当時24時間テレビでサライが作られたと思いますがこれとよく似た感じで
三人の友人といっしょに各々がギターを持ち
始めの歌いだしの歌詞とメロディは、私が口ずさ んでそのあとみんなでアアでもないこ うでもないといいながら各々に、歌詞やメロディを思いつくまま出していき 相談しなが ら継ぎ合わせていくという方法です。
この曲にはまったく音楽と無縁の人も歌詞の一部を作ってもらっています。
12.『風の丘』
36歳ころ この曲はメロディだけしかできなかった曲を
アレンジする人に歌詞もつけてもらって今までの私の曲とは大分イメージが違う曲に仕上が って新鮮な感じで出来上がった曲です。
13.『きみのくせ』
36歳ころ これも風の丘と同じ人がアレンジと歌詞をつけていただいた曲です。
14.『夢追人の聖地』
37歳ころ この曲は一度完全にボツになっていた曲に再びスポットを当てて練り直した曲 です。 もらった歌詞でメロディをつけていて兪気ず待って途中で止めてしまっていた んですが、その歌詞をあきらめて自分が前から書きたかったテーマがあってそれを当ては めたら、ピッタリと当てはまるようになり。仕上がっていった曲です。
でも一度ボツになってからは3年くらい寝ていた曲だったんですよ
最終的なアレンジは、当時一緒に活動していた、キーボードの人に、よるもので
アコギだけで弾き語りのテープをわたして「Bzみたいな曲にしてくれ」という、とんでも ない注文を聞いてくれて完成した曲です。
14.『賢吾の舟』
37歳ころ 友達の友人に歌詞をいただいて目を通したときにメロディが素直に浮かんでき た曲です。 バンドではあまりやっていないので知らない人も多いと思いますが
アコースティックの弾き語りの曲です。
私の曲の中では珍しく悲しみを歌った曲です。
でもなんかしっくりはまってしまう曲なんです。
15.『風よ心』
38歳ころ これも一度ライブのときに歌っただけで
殆ど歌われていない曲です。
病院でリハビリの仕事をしている私がいつも思っていることを歌にした、ちょっとかなし いけど希望を持っていきよう、みたいな曲です。
この曲は歌詞が先にできていて後からメロディをつけたものです。
16.『途中下車』
39歳ころ 愛が叶うように見たいな曲をもう一度作れないかというみんなからの意見が あってやってみた曲です。
そのころ知り合った今の奥さんとのことを書いた曲です。
私はいつも思いついたメロディをそのままカセットテープに録音していた。
時には30分くらい録音状態のままいろんなことを鼻歌でうなっていてとっても怪しげ なテープになっていたりするんですが、録音しているときにはまさにインスピレーションという のかおもいつきでうたっているので録音が終われば、どんなメロディだったかすべて忘れ ていますが、それをゆっくり聞きなおしてみると、これがつかえるメロディがあちこちに はいっていたりするんですわ それを拾い集めて曲に継ぎ合わせる
という方法をとっているのが殆どですが
この曲はすでにメロディだけで完成していたバラードが3つくらいあってそれらのいいとこ だけを継ぎ合わせた棘です。
17.『Nのバラード』
39歳ころ これも同じような曲です。
18.『AGAIN』
40歳ころ ライブ活動で日本全国を走り回っていたころ
各々のライブの主催者の皆さんへの感謝の気持ちやスタッフへの感謝の気持ちを歌にして みました。
私の曲は殆どがCkeyの曲ばかりでしたが、このころからGkeyの曲が多くなっています。
19.『Take a chance』
40歳ころ あるライブの主催者の人の知り合いで
私のファンだという人が仕事がなくなりすごく落ち込んでいると聴いたので
その人に贈る曲のつもりで書いた曲です。
20.『夢への扉』
41歳 これはとっても恥しいことですが
1999年から2000年に入る師走の押し迫ったころ
曲を作らねばと思い作ったのはいいんですが
僕の思い違いで2000年になれば21世紀だと思っていたんです。
歌詞の中には「2000年の扉開けるとき」 や「21century」 などが出ていて
ちょっとタイミングがおかしな曲なので一度特化のライブで歌ったきりで
今はもう歌っていません
21.『ウエディングドレス』
42歳ころ 結婚前に妻の実家に挨拶に行くときの事を歌にしました。
この曲は使いたいメロディを並べるとどうしても高くなって歌えなかったので
初めての試みで曲の中で転調するという方法をとってみました。
「Bz」 の曲や最近ではいろんな曲でも途中で転調してまた元に戻るというのがあった ので 私も真似てみました。
使いたいメロディがストレス無く使えました。
歌詞については妻がメモ程度に書いていたものを私が整理して膨らまして書いたもので す。
作詞のみの曲
大航海の予感
当時活動していた。メンバーのキーボードの人が
メロディを作っていただきそれに私が歌詞をつけて
歌っていた曲です。
明日を見つめて
子の曲はsun-Qの初期のころのメンバーのベースの人が作った曲を
歌詞を新たに作り直して私が歌っている曲です。
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こうやって自分の曲を整理してみたのは初めてですが
メロデイだけだとまだ21曲しかないということに気が付きました。
もっと頑張らねばと気持ちを新たにしました。
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一つ一つの曲に各々いろんな思い出がありました。
聞いていただいた人にもその日隣の曲とかかわる思い出があると思います。
そんな曲とかかわる思い出をたくさん作れるようにこれからも曲作りに励みたいと思 います。
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一度ボツになった曲でも視点を変えてみると生き生きしたメロディになることもあるので
ココに書いてある殆どボツの曲でも歌詞を変えて新たに皆さんの前に登場するかもしれま せん
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また『wake up hero』という曲は2002年8月に北九州で行われる
世界車椅子バスケットボール選手権大会のテーマソングになりました。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後はこのページに簡単な音楽ファイルを再生できるようにしたいと思います。
2017年1月現在これ以外の曲は作れていません。
今一緒に音楽をやっている
中島氏の作曲で、私が一部詩をつけた曲はありますが
今年は、頑張って作詩・作曲をやっていくのが、目標です。
曲名クリックすると、プレイヤーが開きます。
いつの日にか
短いたばこ
愛かもしれない
愛が叶うように
愛が叶うように
うように』
